ビジネスインタビューBUSSINESS INTERVIEW

第5回

桜木 和代さん

プロフィール
東京弁護士会会員東京合同法律事務所(港区赤坂2-2-21)所員
NPO法人「日本カンボジア法律家の会」共同代表
熱帯雨林保護法律家リーグ会員
メコンの川イルカを守る会会員
  1. 001. 国家がない国があるんだというすごい衝撃

    桃原

    まずは、カンボジア関連から。先生の活動はどのような内容なのでしょうか。そもそもきっかけは。

    桜木

    カンボジアでは、1975年から79年まで、ポルポトに支配されて200万人といわれる人々が虐殺等によって死亡しました。不幸はそれだけではなくて、79年にポルポト時代が終わった後も、90年までソビエトとアメリカの代理戦争を強いられ、「内戦」が続いていたのです。日本もポルポトを支持した時代だってあります。しかしこの様な歴史的事実を私たちは忘れてしまっている。お気の毒ね、だから助けてあげるわでは済まない話です。この点はカンボジアの復興に何らかの形で参加していきたいという動機として私の基底に流れていると思います。
    でも最初のきっかけは、行って自分の目で見たいと単純に思ったんですね。PKO法案が国会を通るかどうかという時に、自衛隊派遣反対を叫んでいればいいのか、と疑問に思って。で、92年に初めて2日間だけですけど行った時に、今まで経験したことのないとんでもない世の中というのがあるみたいという感じを持ちました。自分で状況を認識できないんです。それでもう少し理性的に判断しなくちゃいけないんじゃないかということで、翌年に1週間ぐらいでしたか、弁護士を中心とした調査団として、人権問題の調査だといって行った。けれども、なんのことはない、人権を侵害する国家がないじゃないか、何を甘いこと言っているんだと。軍用機が空港を埋め尽くし、市内には「UNTAC」とロゴの入った車が道路に渦巻いている。交通ルール等というものはない。市内に入っていくと家々にはガラスなんかもなくって、でも人々はともかく生きている。
    大体40人ぐらいの方々にインタビューしました。その中で大いに感じたことの一つは、今自分の傍らに病んで倒れている人がいる。いろんな思惑はあるかもしれないけど、病んで倒れている人を助けようとしている人や団体も現実にいる。何もしなければ、私たちはこの国や周りの国の人々には信頼されないだろうと。その時に日本国憲法の前文が浮かんできたんです。まさにこのことだなと思ったんです。(注参照)それってまったく9条のセットなんですね。つまり、武器じゃなくて自分の国をどうやって守ろう、自分の家族をどうやって守ろう、といった時に日本の憲法には、周りの国から信頼される国になることによって、自分の安全を守るんだと。誰からもわかるような公正と正義が信頼できるような国にならなくちゃいけないって前文に書いてあるんですよ。これに向かって努力しろと。日本の憲法が求めている平和主義っていうのは、世界一過酷な憲法だなと。あぁ憲法ってこういうこと言っていたのかと腹の底からわかったっていう気がした。背筋が震えるくらいでしたね。

    桃原

    法律家の先生をして、初めて。

    桜木

    はい。いろいろな方法があるけども、私はたまたま法律やっているんだから、法律的なことで何かできるんじゃないだろうかと。
    ただ、法分野での協力などまったく前例がない。だけど何かしなきゃいけないからともかく会は立ち上げようと、93年に一緒に調査に行った人たちを中心としてJJリーグというNGOを立ち上げたわけです。運動を続けるためには楽しくなきゃいけないので、その頃話題だったJリーグにあやかって、JJリーグ(Japan Jurist League for Cambodia)としました。
    すべて試行錯誤でした。ポルポト時代には法律というものが一切否定され、多くの法律家が殺されたのだから、そうか、法制度の整備や法律家を養成することへの支援ができるはずだと思い至ってくるわけです。で、国家の法制度や司法制度などという重大な法整備は、とても弱小NGOなどの手に負えるものではないので、そういうことは日本政府がやって欲しいと考え、まず日本国内で皆さんの関心を得たいと思い国内シンポなどを開き、他方93,94年には政府要請に精力的に取り組みました。最初に外務省に行った頃は、「こちらは経済協力局で、法律協力局ではありません」などと冷たくあしらわれたこともありました。そのぐらいの認識だったわけですが、めげずにしつこく行き、だんだんと理解してもらえるようになりました。

    桃原

    よく法分野の支援まで行きましたね。日本政府は、現在では具体的にはどの様な協力をしているのですか。

    桜木

    民法と民事訴訟法という2つの法律のドラフト作りの支援が中心です。日本の学者たちが検討しあって試案を作り向こうに渡す。現役の若手裁判官でヘンサムリン時代にロシアや東独に留学したことがある人たちが中心となったワーキンググループが、ディスカッションしたりしながら意見をまとめ、それを日本側に投げ返して日本側も対応していくという形で作業を詰めていくというプロセスを経ています。そのようにして立法する手法も伝達しているわけです。

    桃原

    戦乱の国が法整備をするっていうと、かならずアメリカあたりがばばっとやってきて、自分たちに便利なアメリカ式の法律をばばっと作り上げていくじゃないですか。

    桜木

    カンボジアでそれは何度も見ました。私は、JICA(国際協力事業団)が法整備支援の具体的作業に入る前、事前調査で3ヵ月間ほど行ってるんですけど、いろいろな国の法律家たちがその所属する国の法令を基礎にして、てんでに法律を作る。カンボジアの法律の原文が、英語だったりフランス語だったりするのまでありました。1つの国家としてみると、松の木に竹をつないで、梅の花をあしらったように、バラバラの状態でおかれて、整合性など全くとれていないのです。といって、カンボジアの法学者で存命な方はいませんし、彼らだけではできない、だからものすごく時間がかかったんですけど、日本はカンボジアの人たちと話し合って、やり取りしてそのなかで作ったんです。現地の人たちが一番その国のことを知っているわけですから、現地の人と作るというのがものすごく大事なわけです。この様にすることによって同時に人材を育てていくことにもなるわけです。私が最初にJICAの仕事としてカンボジアに入ったのは98年でしたが、ワーキンググループの主なメンバーが学んできたのは社会主義法だから、市場経済を前提とした法制度には役立たないわけです。初めのころは本当に大変だったと思います。でも、やはり優秀なのですね。今ではものすごい理論家になっています。そういう方たちが大きく変貌するさまに接することができたという幸せ、こういった事業に参加した者の味わえる冥利ですね。

    桃原

    いわば日本で言う明治維新の立志伝中みたいな人ですね。一生懸命勉強して。

    桜木

    私も、日本での明治維新みたいなものなんだろう思っていたんです。ところがそのようなものではないとだんだん分かってくるのです。明治維新では、江戸時代までの文化、学問の蓄積が礎となっていたのですね。教養の高さ、ものの理解力が支えた。例えば漢学の素養。漢文の文法に習熟していたから、たとえば外国語の法律書を読んでも理解できるわけでしょ。それから漢文に通じていたから言葉を作ることができるわけですね。憲法、権利など概念もなかったところ、概念を理解した上でその概念を表す単語を考案できた。今、カンボジアで民法や民訴法を作ろうとしているけど、該当するクメール語がないのが多いそうです。それでどのような言葉に置き換えるか、ものすごく苦労しているんです。ポルポト時代の知識人の虐殺というのが、明治維新よりもはるかに困難な状況を作り出していたのです。明治維新には外国の文化や制度を理解しそしゃくし、新たに組み立てるという事業にふさわしい人材が豊富にいたわけです。このように日本が明治への大転換の時にいかに多くの無名な人材が働いていたのかということに思い至ることができたのはカンボジアのおかげです。
    実態調査の時に、自分自身で理解できないっていう現実がありました。どういう理由でそういう結論になるのだろうと、なかなか理解できない。何故かっていうと、自分が日本の法システムを前提として聞いているからだったんです。今私たちが当たり前のように接している日本の法システムは、歴史の中のいろんな選択肢の中の一つに過ぎなくて、それが正しいとかっていうことじゃなく、たまたま経験的にこれがいいんじゃないかということで使っているに過ぎないということ。これもカンボジアのおかげで、実感できました。
    それからグローバル化っていうことは何のことはない、アメリカ化ということだったのかということも。そういう風に向こうに行ったことによって教えてもらったことっていっぱいあるんです。一言で言うなら「情けは人のためならず」って本当にそうだなぁ、としみじみと感じています。

    桃原

    カンボジアの外貨獲得にはどんな手段、どんな産業があるんですか。

    桜木

    そのような質問に対しては、かならず縫製業っていう答えが出てくるんですけど。規模は小さいし、将来性も定かではないし、主なる産業といえるかは疑問です。実際は、海外援助というのが実情ですね。国としての産業の育成まで至っていないのが実情です。
    だから税収入の道も少ないのです。税制度が実際上は確立されていないことが大きな問題となっています。公務員は自分の職種に応じて、直接「税金」を取ろうとする。別名「賄賂」とも言いますが。みんな民営化されてるわけ(笑)。裁判官の賄賂があんまり目に余るからでしょう。プノンペン市裁判所の所長室のドアに、「私は賄賂は受け取りません」て書いた貼り紙が貼られていたくらい。

    桃原

    その頃は誘拐されて身代金を要求されるなどはなかったんですか。

    桜木

    最初の93年頃まで民族性なのかもしれないけど、治安は良くって、のんびりしていました。私たちなんか夜中に出歩いて遊んでました。だんだんとUNTAC景気でお金の魔力に毒されたんだなという風潮が現れてきました。98年の総選挙を控え97年にドンパチがあって、だんだんと物騒になりました。選挙前が一番危ないんです。98年に行った時は、地方にはほとんど行けなかった。地方に行けても、行く時はライフルを持った兵士が助手席に乗っていくわけですよ。財布を3つ用意して行けといわれました。一つは本当の財布。それから、追いはぎが出た時の財布。それはなるべく最低の価格の紙幣をいっぱい束にして厚く用意する。1個じゃいけない、2つ用意しろと。何故かというと帰りがあるから。97年、98年というのは、今考えるともっとも危なかったんですね。

  2. 002. こんなことをしていると日本人はいつかしっぺ返しされると思う

    桃原

    外国人の事件は意識的に扱っているのですか。

    桜木

    はい。そういえば桃原さんにはイギリス青年の事件では大変にお世話になりました。外国人事件に多く携わるようになったきっかけは、司法修習生の時に、外国人の量刑は日本人に比べて重いんじゃないかということで、データ的に集計してみるとやはりそれが出た。おかしくないかと実務に入って意識的に携わった。不法就労者の刑事事件が多いです。単純な憤りですね。
    人が移動をするというのは、たとえば熱帯雨林の破壊とも密着した関連性があるのね。
    マレーシアの労働者から、彼の刑事弁護をした時に教わったの。どうして日本に来たのか聞いたら、「だってパプアニューギニアから労働者が安く、来るんだ。俺たち太刀打ち出来ないよ」という。だから太刀打ちできる日本に来たと。彼は日本では劣悪な環境で差別を受けながら働いていた。原生熱帯林の中で食べ物、衣服や建物の材料をほとんどまかなってきた多くの人たちは、熱帯林の伐採で、生活の糧、場所を失い都会に集まる。人で溢れた都会は失業者で溢れ、職を求めてより賃金の高い場所(国)へ移動する、その玉突き現象の到達点が日本でした。古紙よりも安い熱帯材チップ、2束3文で買いたたいて物資が日本に流れ、人も流れてくる。でも日本ではそういった国からの労働者にはとんでもない人権侵害が降りかかっている。こんなことやってたら、日本はいずれしっぺ返しがくるなって感じ持ったんですよ。おかしいと。日本は従軍慰安婦問題で戦後50年後にその責任を問われていますね。誰も50年前にはそんな請求されるなんて思ってもいなかったでしょ。今の日本人は時間的にも空間的にも、他人の物を食べて飽食の限りを尽くしている。その責任が問われないわけはない。実際問われるのは私たちの孫・子です。そういう負の遺産を残していいのかというのが、動機となっています。

  3. 003. 多くの女性は離婚を契機にいい女になる

    桃原

    話がらっと変わりますけど、先生は相続や離婚等の家事事件も手掛けていらっしゃいます。今の女性の状況や問題を見ることも多いと思うんですけど、どんな風にお考えですか。

    桜木

    離婚事件で依頼者が男性の場合と女性の場合で一番違うところは、女性は離婚を契機に変わるということですね。いい女になる。私が離婚事件をお引き受けする時には、とにかくその事件を通してその人が自分で変わっていただきたいという気持ちがあります。女性の中にはともすれば、人の所為にするかたが多い。自分で決断したがらない。「だってあの人(夫)が、こうなんですもの」。それが使えなくなると「だって母がこう言うんですから」という。それがなくなって、現実を直視する様になってくると、女性はとても輝いていきますね。自分らしく生きていけるから。確かに夫は悪いよと。でもそれだけ言っていてあなたは幸せになるのですかと。離婚と慰謝料・財産分与を求め訴訟で勝っても、自分で人生を踏み出せない、人を恨んでいる人生の人もいます。私は依頼人に幸せになってもらいたい、ご自分の幸せを、具体的に徹底的に考えてもらいたいんです。自分の人生をどうやって楽しむか、必死で考えて下さいって申し上げます。例えば子育てに専念しようと決めたら、どうやって子育てを楽しもうかと。ご自分をクールに眺めるようになって、自分の足で踏み出して、輝いて出てくれる人がほとんどです。そういう過程に添うことができるということは、弁護士としてとても幸せなのです。
    私は女性が必ずしも職業を持って働かなければいけないとは思ってないんです。それは夫婦の問題な訳で、夫が家事を担当して妻が外で収入を得てくるというのも、その夫婦で決めるべきことで、他人様の口出しすべきことではない。ただ、保険的な意味では働けた方がいいと思う。人生何があるか分からないから。

    桃原

    女性の高学歴化も進んでます。で、変わっていない部分、変わってる部分、どんなことがありますか。

    桜木

    二極分化してますよね。一方で大人になりきれない若い人が増えている。親離れ子離れしない。これは男も女も一緒。大人になりきれていないという点では、男性の場合ドメスティックバイオレンスという形で現れています。昔からあったけど、今は若い人に増えてきている。どこか成長できていない。他方では、若い優秀な女性がいっぱい出てきていますけど。

  4. 004. なぜ、それをするのか、時には出発点に戻って

    桃原

    子供にとって環境は大事ですか

    桜木

    大事ですね。子供時代に、野山を思いっきり駆けめぐり、膝小僧をすりむいたり、蛇の抜け殻を発見したり、と言う環境が、大きな器を作る環境としては、とても大切だと思います。が、最早そのような環境が望み得なくなった今日、そばに能力を上手に引き出してくれる人がいるっていうことが必要ですよね。親はなかなかできない。すばらしい教育者の人に会えればね。なかなか会えないと思うけど。中国の武術に関連する諺に、「3年早く始めて稽古するより、3年かけて良い師を探せ」というのがあるらしいんですが。3年探していたら子供はどんどん大きくなっちゃうし。案外、親が手をかけない方が、子供は育つのかもしれませんね。

    桃原

    最後に、これからグローバルに活躍したいと考えている人にアドバイスは

    桜木

    アドバイスはない! そもそも他人の経験は役に立たないですよ。たとえば、英語の勉強したいけどとか、司法試験に受かるためにはといった技術的な問題に関してはアドバイスはあると思うけど、その人の生き方に関わってくるようなことについては、アドバイスはないですよね。むしろ私は若い人の柔軟性に感動していますから、感化されたいと思うくらい。歴史から学ぶというのは別だけど、前の経験とかにしがみついてちゃダメよね。
    もし私自身がグローバルな活動をしたいと思うなら、何故自分がグローバルな活動をしたいのか、時々その原点に立ち返えるようにしたいと思います。

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