ビジネスインタビューBUSSINESS INTERVIEW
第15回
篠原 欣子さん
- プロフィール
- 神奈川県生まれ。
1953年、高木商業高等学校卒業後、三菱重工業株式会社等を経て、スイス、イギリスに留学。語学および秘書学を学ぶ。1971年には、オーストラリアへ渡り、マーケティング会社に社長秘書として入社。1973年、帰国して人材派遣会社、テンプスタッフ株式会社を設立。人材派遣健康保険組合理事長や、社団法人日本人材派遣協会理事などを務める。2000年より、アメリカ『フォーチュン』誌による「世界最強の女性経営者」に9年連続選出されている。
- 著書
- 「探そう、仕事の、歓びを。」 篠原 欣子 (著)あさ出版
INDEX
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001. テンプスタッフ初めてのCMに出演したのは…
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桃原
私はアメリカ留学から帰ってすぐ、テンプスタッフに通訳として登録したんです。
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篠原
よく覚えていますよ。
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桃原
当時は社長が派遣のアレンジをして下さっていたんですよね。印象に残っているのは、土曜日にトラブルが発生した時のことです。まさか誰も会社にいないだろうなと思いながら電話をしたら、でられた方が「ハイッ、そうですか。わかりました」と、たちまちにトラブルを解決してくださったんです。あとで、それが社長だったと聞いてびっくりしました(笑)。
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篠原
そうでしたっけ(笑)。
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桃原
それから、ほどなくして私、社長といっしょにCMにでたんですよ! それも初めてのテンプスタッフのCMです。
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篠原
あー、あれに出てくれたの! ありがとう!
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桃原
私はCMなんて初めてですから、いわれるままにスタジオに行って。確か、社長と何人かの派遣社員がミーティングするようなシーンでした。
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篠原
そうそう!
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桃原
それで、社長と誰かが話をしているシーンが欲しいといわれて、選ばれちゃったんですよ。「じゃあ社長、話を聞かせてくださいっ!」といったら、社長は「実は私は車が弱くて、いつも電車で移動しているの」っていう話!(笑)。
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篠原
派遣会社では初のCM。はしりだったんですよ。
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桃原
私はアメリカから帰国したばかりで右も左もわからない。通訳エージェンシーも少しはありましたが、よほど実力がないと登録できませんでした。アメリカの大学から帰ったばかりくらいでは、話にならなくて。でも社長は受け入れてくださったんです。
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篠原
そんな時代だったわね。
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桃原
社長がスイスやイギリスに留学した後、オーストラリアで人材派遣という働き方を知り、日本に広めた…というお話は有名なので、同時代をいっしょに走ったというとおこがましいのですが、そのあたりのお話をうかがいたいと思っています。2007年に出版された『探そう、仕事の、歓びを。』(あさ出版)という本を、最初は「あー、面白かった」って読んだんです。でも今回改めて読んだら、泣けて、泣けて。こういう本で泣けるってないんですけど。
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篠原
あら、ふふふ。それは、この本に書いてあるような、起業のたいへんさや、仕事の苦しさを桃原さんも体験しているし、共感してくれるからなのね。
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桃原
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002. 先は見ない。敏感に毎日を捉えるだけ
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桃原
本にも書いてありますが、社長はいろいろなことが起こってもめげないところがすごいと思うのです。CMを撮った頃は、時代は右肩上がりで成長している時代でした。テンプスタッフも行くたびに人が増えて、会社も大きくなっていました。時代の変化についていくのがたいへんではありませんでした?
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篠原
変化についていったっていう感じはないわね。
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桃原
何年先を見ていたんでしょうか?
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篠原
私は明確に何年先っていうのは意識してないの。半歩先を見て、その時々の変化をタイムリーに取り入れてきただけ、といったらいいのかしら。
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桃原
そうなんですか。
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篠原
うちは、お客様の会社があって我々がいて、働くスタッフがあって我々がいますから、そうした人たちの変化やニーズに応えるというのが生命線です。お客様やスタッフの変化には敏感にタイムリーに対応していくことが重要だと思っています。
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桃原
柔軟だったんですね。
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篠原
たとえば桃原さんみたいに英語ができて通訳もできて、という人がアメリカから帰ってきて「仕事ありませんか?」って来てくれたわけですよね。時を同じくて外資系の会社がどんどん入ってきて「通訳いませんか?」ということが増えてきた。それに応えるのに精一杯でした。すると通訳ができる人の登録が増えてくる。変化をとらえて先回りし過ぎてもうまくいかない。一所懸命に応えていくうちに私たちも変わっていたということです。
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桃原
ビジネス書などを読むと、5年先を読めとか、先を見越してシーズを蒔けとか、が多く見られます。
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篠原
できないわよ、そんなこと!(笑)。
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桃原
できないですか(笑)。
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篠原
そのかわり、敏感に、敏感に、毎日を捉えていくんです。少なくてもうちの仕事はそうですね。メーカーさんなどは、また違うと思います。うちの場合は、「今」の需要に応えることが大切なんです。応えていると次のニーズが見えてきます。
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桃原
今のニーズはありますか?
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篠原
今だったらITやバイオのスペシャリスト。私どもの仕事は、お客様のニーズ、働きたい人のニーズをとらえて応えていくビジネスです。どっちが先になってもミスマッチになってしまう。タイムリーにとらえてタイムリーに動くことが重要です。
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桃原
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003. 落ち込むのは気持ちに余裕がある証拠
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桃原
会社が大きくなっていく過程では、いろいろたいへんなことが多かったと思います。たとえば気持ちが落ち込んだり、萎えたりした時は、どうなさっていますか?
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篠原
気持ち萎えないもの(笑)。萎えるのは気持ちに余裕があるからです。余裕がない時は、そんな気持ちにはならないわよ。
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桃原
それだけ追い詰められていたということですか?
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篠原
だってお金はないし、企業さんから要求があったら応えなきゃならないし、優秀な人が来てくれたら、その人に合った仕事を紹介したいし、社員にはお給料は払わなきゃならないし。
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桃原
萎えるほどの余裕もなかったと。本を読んで気が付いたのですが、何度も泣いていらっしゃいますよね。「泣きました」「泣きました」「布団をかぶって泣きました」とある。でも「逃げない」「逃げない」が続く。男性の経営者だと「泣く」はちょっとで「逃げない」の比率が多い。でも社長は、泣くことも多い。
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篠原
泣くことが自分の逃げかもしれないわね。ストレス解消かもしれない。涙を流すとすっきりするじゃない(笑)。人間って、特に女性って泣くとすっきりするのよ。人前じゃメソメソできないから、ひとりの時にわっと泣く。
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桃原
確かにそういうところがありますよね。一番の修羅場はどんな時でした? 人、お金、それとも信用でした?
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篠原
特に創業期はお金。短刀を突きつけられているみたいな恐怖感が常にありました。お金がなくなったらどうしようとか、支払いができなかったらどうしようとか。
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桃原
それを乗り越えた時に、どうなりました?
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篠原
度胸がついたかしら。
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桃原
ある人は、神様がここに至るためにあんな苦労をさせたんだわ、と運命論者になったりしますが。
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篠原
逃げずに乗り越えてきたことで「人事を尽くして天命を待つ」というような、ここまでやってだめだったらしょうがいないって思うようになったわね(笑)。
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桃原
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004. 資金を借りられることさえ知らずに営んだ社長業
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桃原
本を読むと国民金融公庫にお金を借りにいくエピソードがでてきます。
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篠原
私はその時までお金が借りられるってことを知らなかったのよ(笑)。うちは父が小学校の校長で、母が助産師で、姉も先生だったので企業に勤める人が身近にいなかった。父が早くに亡くなって、母がひとりで育ててくれたのですが、お金を借りるっていうことを知らなかったんです。
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桃原
私も知らなかったです(笑)。
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篠原
そもそも何で派遣の仕事を始めようと思ったかというと、働く側も働いてもらいたい側も、必要な時に必要な人がいたらいいな、便利だなと思ったからなんですね。社長になりたいとか起業したいなんて思っていなくて。反対に始めちゃったら、たいへんでお金はなくて。それでもお金を借りるっていう発想はなかったんです。
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桃原
初めて融資を申し込んだ時は、ドキドキしました?
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篠原
よくわからなかったわ(笑)。女性の税理士の先生が、「そろそろ国民金融公庫へいってお金を借りましょう」って。「え!? お金って借りられるの?」そういう感じです。
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桃原
まあ。
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篠原
まだ女性の経営者は珍しい時代だったみあいで、「男のスポンサーがいるんじゃないか」とか、「その人に借りればいいんじゃないか」とか聞かれたんですか、別に失礼な質問とも思わず、素直に回答してました(笑)
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桃原
嫌味だと思わなかったのですね。
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篠原
そうなの。税理士の先生が「社長、とってもいやだったでしょう?」と聞くので、「え、何が?」(笑)。
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桃原
女性の経営者はお金を借りるのが難しいっていう話は多いですね。営業にいってセクハラとかは?
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篠原
それはありましたよ。営業に行って嫌な思いをしたことがありましたね。でも、そうまでして仕事をもらおうなんて発想はなかったですね。社員が入った時も、会社が潰れてもいいから、きっぱり断わって帰ってきなさいといいました。
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桃原
さすがですね。では逆に女性だから得したこともありますか?
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篠原
それもあんまり意識していないから、わからなかったですね。
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桃原
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005. 「人には良くする」母の教えが生き方の原点
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桃原
社長の有名なエピソードには、お母様のこともあります。私も母にはものすごい苦労をかけて、留学までさせてもらったという思いがあります。思春期には反発しましたが、大学へ入って母の職場でアルバイトをさせてもらい、働く母の姿を見た時には、ひれ伏すようでした。今の私の働く姿勢は、母に似ています。
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篠原
私も母に似ているでしょうね。母は、日本で初めて助産師の資格を取ったひとりなのですが、その姿をみていましたから。母は、愚痴一つ言わずに何でもやりぬいた人でした。「ああしなさい」「こうしなきゃだめよ」とは絶対いわない。いう暇もなかったと思いますけれど。働きながら5人の子どもを育てて、しかも長男は小児喘息。とにかく子どもは丈夫に育てばいいと思っていたはずです。「体壊すくらいなら、勉強しなくていいから早く寝なさい」って言ってましたから、夜中に隠れて勉強してましたね。また、「人には良くしなきゃいけない」「人には感謝しなきゃいけない」「人の悪口はいっちゃいけない」ということもよくいっていましたね。
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桃原
それが会社の背骨につながっていると思われますか?
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篠原
なっているでしょうね。
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桃原
これも本を読んで印象に残ったことですが、情報漏洩事件※があった時のことです。スタッフを集めて社長が「みなさん安心してください。会社がつぶれたとしても、あなた方を1年間支えるだけの内部留保があります」とおっしゃっいました。今読むと、まさにタイムリー。今の世の中、働く人をないがしろにする会社が多い中で、社長はこういう方だったんだと思って、涙がでてきました。
※98年に起こった派遣社員9万人分の個人情報漏洩事件のこと。2カ月にわたって営業活動を自粛した。 -
篠原
私にはいつもスタッフにお金を払えなくなったらどうしよう、という恐怖感があります。だから事件が起こった時に真っ先に思ったのは、会社がつぶれるかどうかよりも、スタッフや社員にお金が払えるかということでした。
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桃原
よくわかります。
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篠原
すぐに経理に確認して1年間は大丈夫だと聞き、ほっとしました。後から経理の人は、「社長はなぜあんなこと聞くのだろう」と思ったそうですけれどね(笑)。私は、会社がつぶれても1年間くらい払えれば、その間に次の仕事が探せるだろうと思ったんです。別にだいそれたことをいったつもりはなかったんですけれど。
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桃原
今、女性起業家って増えていますよね。でも社長は一線を画していると思うんです。本当に私利私欲のない方で、そんなところがロールモデルになっているんだなと思います。これくらいの会社の社長だったら、豪邸に住んで、ロールスロイスに乗っててもいいくらいじゃないですか。でも車は嫌いだし、お酒も飲まないし、趣味は仕事、オフも散歩するくらいとおっしゃる(笑)。口にされるのはいつも「社員が、社員が、スタッフが」って人のことばかりで感服します。どこからそんな気持ちがくるのでしょうか。
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篠原
それは、0から始めてみんなが一所懸命やってくれたお陰で、ここまでこれたからですね。働いてくれた方から「ありがとう。いい仕事を紹介してくれて。またお願いしますね」の声が私の背中を押してくれてたんです。。それに、何も知らなくて一人で始めちゃって、誰にも頼れなかったから、誠実にやるしかなかったんでしょうね。
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桃原
ベンチャーブームでいろいろな人が起業しましたけど、あっという間にいなくなっちゃいましたよね。そういう人と社長が違うのは、原点を忘れていないということだと思います。
ぶれていない生き方をしている。 -
篠原
ああ、それはぶれないわね。頑固だから。
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桃原
そのぶれない気持ちで、モットーとしてきたことはありますか?
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篠原
悪いことはしない。人に始まって人に終わる仕事なので、人は大切にしなきゃならないわよね。その気持ちは、仕事にせよ私生活にせよぶれないわ。
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桃原
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006. 不況の後には好況がくると信じて地道にやっていく
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桃原
今の厳しい経済状況をどうみますか?
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篠原
世の中って不況と好況を繰り返すんですよ。今までもそうっだったし、これからもそう。ただ、大きい不況の時もあるし、小さい不況の時もあります。不況の時はできるだけ身を縮め、地道にやっていくことが、人材ビジネスでは必要なことだと思います。好況になれば、それにつれてビジネスも動き出すので、それに対応していけばいい。でも不況の時も好況の時も「身の丈にあった経営」が何より大事なことだと思っています。かっこうつけてはだめなんです。
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桃原
では個人としてはどうでしょう? 仕事がなくなる不安や閉塞感をもっている人へは、どんなメッセージを伝えられますか。
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篠原
今できることを一生懸命にやることだと思います。自分がそうだったように。桃原さんだったらどう?
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桃原
私は大局的なことしかいえないです。社長にお会いして思いを新たにしたんですが、アメリカの会社ってやっぱりおかしいですよ。不況だといいながら、社長が法外な報酬をもらっていて、それがグローバルスタンダードになってしまっています。
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篠原
そうね。おかしいわよね。
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桃原
ずっと考えているのですが「会社は誰のもの?」「何のためにあるの?」もっといえば、「社長であるあなたは何を果たしたいの?」って内省しているんです。松下幸之助さんが言われたとおり、一度立ち上げた以上は社会の公器。社会に還元してこそ、存在価値がある。今は縮こまっていても、力を蓄えて、還元できるようになろうって思います。
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篠原
本当にそうよね。私たちの仕事は、働きたい人には仕事を、人が必要なところには人を。人と仕事につきるの。いくら会社が大きくなったからといって、世の中のためになるような会社でいることを忘れちゃいけないのよね。
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桃原
社長は海外に留学されていたこともあって、留学の支援もされていますよね。
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篠原
スカラシップ制度は社会還元の一環として始めて、今年で19年。200名弱の留学生を世界に送り出してきました。自分の能力を伸ばしたい人にはチャンスをあげたいじゃない。
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桃原
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007. 自分に合った働き方で幸せを感じて欲しい
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桃原
私も社長のように、まわりの人にエネルギーを与えられるようになりたいです。私はここに登録して、社長の姿を見て学んだことは多いのですが、私の時代の働き方とは変化が大きいと思います。
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篠原
桃原さんの時代は、なんらかの経験があるスペシャリストの方が多く登録されていて、プロの意識が高かったのね。独立心が強いからこそ、派遣で働いていた。当時の企業では、そういう人を活かす場がなかったんです。今は反対に、自分が何をやったらいいかわからない人が多いの。だから派遣会社でカウンセリングを受けながら、したい仕事を見つけるとか、いろいろな会社に行きながら、合う会社を見つけようとしています。職種が広がったことが大きいのですが、確固たる自分が見つけにくいのね。
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桃原
社長は、派遣という女性の新しい働き方を提案しました。さらに新しい働き方があると思いますか?
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篠原
一つは正社員、派遣といった就業形態にとらわれず、ライフスタイルに合わせて自由に働くことができることですよね。特に女性の場合は子育てや介護など、時間的制約が仕事を得る機会を逸している場合が少なくありません。例えば、ワークシェアリングもその一つです。実は、女性を取り巻く子育てや親の介護という状況は、あまり変わっていません。もちろん、賃金面や待遇、教育など、クリアしなければならない課題もまだまだありますけど。
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桃原
派遣を含めて、働く人を取り巻く状況が厳しいようですが。
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篠原
一部の側面だけを捉える報道では、勘違いしてしまいがちですが、派遣という働き方を自ら望んでいる人も少なくありません。みんながみんなフルタイムで一つの企業で働くことを希望しているものではないのです。子育て中の人、親の介護をしている人、勉強中の人……と時間を区切って働きたいというニーズは絶対あるんです。
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桃原
働く待遇の問題ですよね。
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篠原
すべての人を正社員にして会社がつぶれてしまっては、本末転倒よね。派遣は賃金が安いというイメージがありますが、優秀なエンジニアの方だと年収1000万を超える方もいらっしゃいます。派遣の平均年収は約300万くらいですが、残業は少ないですし、社会保険や福利厚生などのベネフィットは社員と変わりないのです。もちろん、退職金やボーナスなど社員特有のメリットもありますが、時間的拘束や異動など、デメリットも少なくないのです。
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桃原
正社員だけがベストというのではないわけですね。
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篠原
女性を取り巻く状況は、年齢や環境によって変化するのだから、それに合わせて働き方も変えていけるようになるといいわよね。自分に合った働き方をすることで、幸せを感じられるようになって欲しい。他人と比べないことも大切です。お金をたくさん稼ぎたい人、仕事以外の時間が欲しい人……いろいろあっていいのですから。それには男性の働き方も関わってきますよね。たとえば男性も育休をとるなど、働き方がもっとフレキシブルになれば、女性の働き方も変わっていくと思います。
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桃原
御社では男性が育休をとったケースはありますか?
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篠原
初めてひとりでました。奥さんが働いて、男性が1年育休をとっています。もっと働き方に多様性がでてくるといいですね。
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桃原
すばらしいです。きっとまた次のステージで何か仕掛けていただけるのではないかと、楽しみにしています。
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桃原